母を背負って歩く夢を昨日、初めて見ました。
普段夢などさほど気にしないのに、何故か昨日の夢だけは鮮明に覚えています。
やはり、共にいたのが母だったからでしょうか。
心の中で、ちっぽけな私が「夢を忘れたくない」と叫んでいます。
だから私は、夢の記憶を日記に残すことにしました。書かないではいられないのです。
つたない文ですが、一生懸命に書いてみようと思います。
もし、あなたが「母」を想う方ならば、共感していただけるかもしれません。
良ければ、ぜひご覧ください。
---文末には、『母へ贈り物』の商品をご紹介させていただいています。
夢の中には母がいて、
私はそんな母を背負ってゆっくりと歩いていました。
なんともまとまりがない夢で、正直なところ既に記憶は曖昧になってきています。
今、私はこうして必死に母の夢を書き残そうとしているけど、それも正確に行ってしまえば加工済の夢。
昨日見た夢そのままではないのです。
「どうしても忘れたくない」という想いだけで、私はこうして文を綴っています。
思い出せるのは断片的な場面だけ。
それでも、なぜかもう一度見たいと思っている自分がいるのです。どしたらもう一度あの夢に戻れるか。
唐突に現れたくせに、見ようと思うとなかなか夢に現れてくれないからもどかしくて仕方がありません。
それにしてもどうして母が夢に出てきたのか。正直なところ、理由も全く分かりません。
私の中で、気づかぬうちに母への想いが募っていたのでしょうか。
やはり幾つになっても、母が大切な存在であることは変わらないのかもしれません。
それは夢の中の話。
私は前に向かってゆっくりと歩んでいる。
飽きれてしまう程の単調な夢。でもなぜか、喉のあたりに引っ掛かるものを感じました。
「いったいなんだろう。」
ふと視線を向けると、そこには母の手があった。
見間違えるはずなんてない。
懐かしい、あの優しい母の手だ。
そういえば背中に少し重みを感じる。どうやらこれは母の重みらしい。
母は今、私に背負われている。
視界の端に、母の少しくたびれた農作業の服が映ったのです。
それにしても、母はいつの間にかこんなに軽くなってしまったのか。
私は急に自分が不甲斐なくなってしまいました。今までなぜ、気づかなかったのかを!
いや、もしかすると私はわざとそのことに気づかないようにしてきたのかもしれない。
私は母の服を綺麗な和服に着替えさせました。
これでよし。
私はまた、母を背負って歩き始めました。道の脇には立派な桜が咲き誇っている。
風が吹くたびに舞う桜が、時折私と母のもとにやってきます。
この道は初めて通る道だとずっと思っていたけど、どうやら違うらしい。
「あっ」この道は、自分が幼い時に母の背に背負われて歩いた道ではないか…!
そう気づいた瞬間、胸がきゅーっと締め付けられるのを感じた。
少しだけ、息を吸うのが苦しい。
私の背中で、母が何かを話している。たぶん、とりとめのない世間話だったと思う。
でも、詳しい内容はどんなに記憶を遡っても思い出せない。
ただ私は、母と話を合わせることに少しばかりのもどかしさを感じていました。
母にとって私は子どもでも、今の私はもう子どもではないからかもしれない。
もう子どもの時の私には戻れないのだ。母との距離はだいぶ離れてしまいました。
なんともいえない寂しさと、
小さい頃歩いた道をまた母と一緒に歩けている嬉しさ。
桃色の景色の中、母を背負って歩く私の心の中で。
いろいろな感情が綺麗な模様を描きながら静かに渦巻いていました。
気づくと私の視界には見慣れた部屋が映っていた。どうやら夢が終わったらしい。
私はすぐに母の写真を探し始めた。残念なことに、最近の母の写真は見つからない。
でも、唯一、母と父が一緒に映った写真がでてきた。
写真の中に母はまだまだ元気で、温泉に向かう道中かどこかで休んでいる時の写真でした。
ただ、私はこの場所を上手く思い出せない。もう遠く霞んだ記憶になっています。
私は久しぶりに井上揚水の『人生が二度あれば』という曲をかけた。
これは、私の青春時代の歌です。いったい何年ぶりに聞いただろう。本当に久しぶり。
メロディーが進んでいくに連れて、私は仕事に夢中だった頃の自分を思い出しました。 ただひたすら前に進もうと足掻く毎日。そういえば家族も故郷も、全く振り返ることがなかった。
母の人生は、なんだったのだろうかと思うとき。
母は、海外旅行なんて一度も行ったことない。なのに私はなんども海外へ旅行し、
国内も好きなところへはなんども旅行しました。
もう、母には海外旅行なんて苦痛かもしれないと思っています。
母との旅行と言えるものは、数えるほどしかしていない気がする。
いっしょに行った一番の楽しい思い出は、日帰りの旅行でした。
それは、近くの海へバスに乗って行きましたね。
そこでした潮干狩りは、とても楽しい思い出の記憶!。
それは、今となっては遠い思い出の記憶となりつつある。
それは母が年老いたからでしょうか。私が忙しくて思い出すこと時もなかったからでしょうか。
そんな時、母の人生はなんだったのだろうかと考えてしまします。
ただひたすら家族を思い、そして私のことを思っていたのですね。そして、年老いていくと思うとなんか寂しい。
そんな母を、私のみた日本のいいところへ連れてってあげたい。
私の生き方は、現代風であるが心の奥底では日本の伝統的なものに憧れている。
今となっては、それは母の教えだったのではないか。
母が私に望んだことは、日本人らしい節度と礼儀ある人になることだったのでしょう。
それなら、私は母が望んでいたようにしたい。
私が選んだ母へ贈り物は、日本のこだわりある
伝統素材をつかったチョコレートのショコラです。
こちらの商品は、「雅」を主題にして作られており、日本の四季の移り変わりをチョコレートに託してあります。
日本のこだわりある伝統素材を使った食は、たいへんに喜ばれる贈り物となっております。
また、お召し上り後のお箸は、末永くお使い頂けます。
お箸は職人が丹念に作り上げた世界に誇る日本の伝統工芸品の『輪島箸』です。
ショコラをお召し上りの後は、この『輪島箸』を末永くご愛用になられると思います。
あなたは、この日本の和のチョコレート『雅』を手にした母を、どのように想像しますか!
ほんの少しの物でも、きっと母は幸せを感じて喜んでくれると想います。
母への感謝を込めて、これを機会に贈ってみるのも良いかもしれません。
筆者より。